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三菱銀行人質事件の概要



1979年1月26日に、大阪府大阪市住吉区の三菱銀行北畠支店(現在の三菱東京UFJ銀行北畠支店)で起こった人質立てこもり事件を「三菱銀行人質事件」と言います。犯人の犯行の動機は借金の返済でした。死亡者は5名にのぼり、そのうち2名は銀行員、他の2名は警察官、残る1人は犯人でした。日本において犯人が射殺されることで事件の解決を見た、戦後最後の事件です。この事件以降、犯人射殺によって解決された事件は、2013年時点の日本では存在しません。ここでは三菱銀行人質事件について説明します。

事件の概要

事件の概要

1979年の1月26日に犯人が銀行に入ります。帽子を被り、黒のサングラスにマスクという格好で、猟銃を空に向け2発発砲します。それを見た行員が非常電話で通報しますが、この行員は射殺されてしまいます。犯人は現金5,000万円をカバンに入れるよう行員に指示しますが、その隙を狙って外に飛び出した客が、偶然近くを自転車で走っていた警察官を見付け、事件が発覚します。

発覚後すぐにパトカーが銀行に到着し、2名の警察官が銀行内に入りますが、犯人はそのうちの1名を射殺し、その後、約320名の武装警官が銀行を囲みます。同時に犯人は銀行の出入口を封鎖し、ここから人質を取った立てこもりが始まります。犯人は支店長を射殺したあと、女子行員に全裸になるよう指示し、全裸にさせ、男子行員は上半身だけ裸にさせます。

警察は、銀行の壁などに穴を開けて、銀行内の様子が見えるようにしたり、犯人が要求する物を差し入れたり、トイレに用を足しに来た人質を励ますなどしますが、依然として膠着状態は続き、日付けが変わります。日付けが変わった1月27日、警察が犯人の母親に頼み投降するよう説得を試みますが、それも失敗に終わります。

その後、犯人は自らが金を借りている場所へ、行員と銀行のお金を使って、借金の返済に行かせるなどしつつ、流れ弾などにより負傷した人質の数人を開放します。日付けが変わり1月28日、人質の体力・気力の限界だと警察が判断し、大阪府警察本部警備部第二機動隊・零中隊(現在のSATに相当する武装警察組織)が突入の待機を開始します。

午前8時41分、7名の零中隊員が銀行内に突入し、隊員は合計8発を犯人に発砲します。そのうちの3発が命中し、犯人は倒れます。

同事件と少年法について

同事件と少年法について

日本史上最悪の結末となった事件とも言われる「三菱銀行人質事件」の犯人ですが、実は15歳のころにアルバイト先の先輩の家へ強盗目的で押し入り、その際家にいた妻を殺害するという強盗殺人事件を起こしています。しかし、少年法により1年半程で社会に復帰しており、この事実を知った人質からは、のちに少年法の改正を訴える声が上がります。当時の警察の記者会見やマスコミは、少年法改正の問題に触れることはありませんでしたが、その後の少年法改正の際に、参考とすべき事件として扱われています。