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1960年代から現代におけるATMの歴史



ATMは、日本語にすると「現金自動預け払い機」と訳されます。英語の「オートマチック・テラー・マシン」の略です。ここではATMの歴史について紹介します。

ATMの歴史

ATMの歴史

1960年代から現在までのATMの歴史について、ダイジェストで説明します。

キャッシュディスペンサーとATM

キャッシュディスペンサーとATM

「オートマチック・テラー・マシン」のテラー(teller)とは、英語で「銀行の金銭出納係」を表します。つまりATMとは、自動で銀行員のように、金銭の出納を担当してくれる機械のことを指します。

ATMという言葉が登場する以前、ATMはキャッシュディスペンサー(CD)と呼ばれていました。単なる現金の払い出しをする機械のことで、現金の預け入れや振込はできない機械でした。

キャッシュディスペンサーは1965年にイギリスで誕生します。初期のキャッシュディスペンサーは、引出す金額を指定することができず、10ポンド単位でお金が出てくるものでした。現在のように、引出したい金額を指定できる機械が普及し始めたのは、1970年に入ってからのことです。

日本においてキャッシュディスペンサーが誕生したのは1969年です。当初はイギリスと同じく金額を指定できず、1,000円札を10枚1束にして、引出す方式でした。その後1971年に、現在のように金額を指定して引出せる方式となり、また、中央銀行などとキャッシュディスペンサーがオンラインで繋がるようになりました。

三井銀行が先行してキャッシュディスペンサーを導入

日本においてキャッシュディスペンサーを先行して導入したのは、三井銀行でした。銀行は当時から週休2日制であったため、顧客の利便性を重視して導入に踏み切りました。

3億円事件と給与振込について

当時の日本は、給与振込という概念が浸透しておらず、給料は給料日に会社から手渡されていました。高度経済成長時代でしたから、銀行は各企業に少しでも多くの融資をしたいと考えていました。そこで給与を振込にすることを考え付きます。給与を指定の口座に振り込んでしまうと、多くの人は必要なお金だけを引出し、残りは銀行に預けたままとなります。

この預けたままのお金を広く融資に回すため、各銀行と各企業がうまく手を結んで、給与振込が日本に浸透していきます。同時に、預けたままのお金を自由に引出したり、預け入れたりする必要が出てくるため、ATMは加速度的に日本中へ浸透したのです。

また、1968年に起こった「3億円事件」もATMの普及における、ひとつの引き金となりました。3億円事件とは、東京芝浦電機の府中工場へ向かっていた現金輸送車が襲われた事件ですが、この3億円は社員のボーナスのためのお金でした。多額の現金を輸送するリスクを考慮して、日本にATMが広く普及するに至るのです。